≪HOME
  怪談!熊さんの百物語

御盆の東京湾

僕は女子大生時代、潜水士のバイトをしていました。当時、厚生省と 労働相は別々で、僕は厚生省の国家資格を取得していたので、その手の 事務所から仕事を頂き、レインボーブリッジやベイブリッジに代表される 公共事業に参加していたわけです。日当の割が良く、貧乏女子大生の 僕には魅力的なバイトだったの。

(by 上原潤


 ある夏も、そのバイトをしていたんですが、作業日程通りに行かず、 作業が難航しており、御盆に突入しても当番制で作業を続行していたの。 僕は暇な学生だったので、御盆も参加する事なった。その時は海洋調査 をする目的で(環境庁からの下請けで、東京湾の生物相を調査する) 潜水する事になったの。橋桁のジョイント部分のチェックを兼ねてね。

 僕達は新橋の沿岸からエントリーした。え?と思われるだろうが、 実は案外、新橋の近海は透明度が高いのだ。高いと行っても、せいぜい 状態の良い時で5〜6Mだが。まあ、春濁りの伊豆みたいだ。

 何故かって?それは沢山のムラサキイガイ(ムール貝の一種)が 岸壁や海中の根(海の中の大岩)の至る所に群生している為なのだ。 他にもカキなども沢山群生している。これらの二枚貝は、海水を吸い、 エラでプランクトンを濾して食べる。そう、天然のフィルターの役割を 果たすのだ。その為に、この海域は比較的水が綺麗になるのだ。

 我々は外来種の生物の採集、及び繁殖状況を調べた。例えば、イッカク クモガニ。この小さな蟹は北米産で、タンカーに付着して日本に来た。 他にも地中海産のムール貝、甲殻類、棘皮動物(ウニやヒトデに代表 される)等、枚挙に暇が無い。

 それらを採集し、単位面積当たりの凡その個体数を調べたのだ。 それを済ませた後、橋桁のチェック。ニコノスを(ニコンの水中カメラ) 使って撮影する。その日の作業を終了して、エギジットする為に戻った。

 けだるい疲労感を感じながら、我々は岸壁の端に設置してある、 ステップを登ってエギジットした。「は〜、しんどかったな?これで 御盆が明ける迄、作業は無いよ。」そう言いながらリーダーが岸壁に 腰を下ろした。僕らも腰を下ろし、煙草をくゆらせながらしばし談笑に 参加した。

 さて、乗り付けた車に機材や標本を積み込み、立ち去ろうとした時、 僕は何気なく海面に視線を落とした。岸壁ギリギリに乗り付けた僕らの 車が停めてある目の前の海面に、透き通った無数の手が波間から 伸びている。所々に火の玉もポツリポツリと灯っているでは無いか! 凍り付いた僕に、リーダーは「見るな!」と声を掛けた。

 逃げるようにして車を発進したリーダーは、やがて重い口を開いた。 「御盆だろう?盆ってよくああいうのが出るんだよ。」某大学の 海洋学部を出て、作業ダイバーになったリーダーは二十数年東京湾を 潜っている。「信じたくは無いが、結構東京湾って死体も上がるんだ。 ああいうものが出ても、おかしく無いのかも知れないな。」

 あの白い手は、一体何を求めているのだろう?何をしたいのだろうか。 僕はそれ以上考えるのを止め、車に揺られながら事務所迄の道のりを 寝てやり過ごした。この事件以降、僕は御盆の東京湾に潜っていない。


[TOP]
Copyright © CREATER's MANTION